札幌地方裁判所 平成5年(ワ)5222号 判決 1997年9月29日
原告
鎌田香織
被告
戸水智規
主文
一 被告は、原告に対し、金一一八三万九八一五円及びこれに対する平成二年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、三分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、金四四九一万五三〇八円及びこれに対する平成二年八月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、夜間、横断歩道橋が設置された交差点付近の道路を徒歩で横断していた原告が、制限速度を大幅に超過した速度で走行してきた自動車と衝突して重傷を負った交通事故について、自動車を運転していた被告に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲げたもの以外は、争いがない)
1 交通事故の発生
(一) 日時 平成二年八月八日午後八時二〇分ころ
(二) 場所 札幌市白石区菊水二条一丁目八番先路上
(三) 加害車両 被告が運転する普通乗用自動車(札幌五一た一〇五二)
(四) 被害者 原告(昭和四四年一月二四日生まれ)
(五) 事故態様 被告が加害車両を運転して事故発生場所付近道路を走行していた際、道路を横断していた原告に加害車両を衝突させ、原告を路上に転倒させた。
2 原告の受傷と治療経過
原告は、本件事故により、外傷性クモ膜下出血、頭蓋骨骨折、左上腕骨骨折、全身挫創、右外傷性顔面神経麻痺、髄液耳漏、右外傷性難聴、肋骨骨折などの傷害を負った。また、本件事故後、急性糸球体腎炎、尿管結石、過食症などを患い、これらの治療として、次のとおり入通院した。
(一) 医療法人医仁会中村記念病院(甲八、九、三二、乙二〇の2~23)
入院 平成二年八月八日から同月三一日(合計二四日)
入院 同年九月一〇日から同月一七日(合計八日)
入院 同年一〇月八日から同月二六日(合計一九日)
通院 同年九月二〇日、同年一一月一〇日から平成六年二月一〇日(実日数五五日)
(二) 医療法人社団いとう整形外科病院
入院 平成二年八月三一日から同年九月一〇日(合計一一日)
通院 同年九月一七日から同年一二月五日(実日数四日)
入院 同年一二月六日から同月一九日(合計一四日)
(三) 医療法人社団北海道恵愛会南一条病院
通院 平成二年九月一三日から同月一六日(実日数二日)
入院 同年九月一七日から同年一〇月八日(合計二二日)
(四) 相馬眼科医院
通院 平成二年一〇月一九日
(五) 医療法人社団三樹会病院(甲五、三五)
通院 平成二年一〇月二四日、二五日
入院 同年一〇月二六日から同年一一月二四日(合計三〇日)
通院 同年一一月二五日から平成六年二月九日(実日数七八日)
(六) 札幌医科大学附属病院(甲四八)
通院 平成二年一一月二九日から平成三年六月一三日、平成六年二月一〇日(実日数七日)
入院 平成三年一月二九日から同年二月一四日(合計一七日)
(七) 医療法人社団蘇春堂形成外科
通院 平成三年三月五日から同年一二月三一日(実日数二三日)
(八) 医療法人北仁会旭山病院(甲一三、一七、三九)
通院 平成四年三月五日から同年六月二二日(実日数八日)
(九) 医療法人明和会札幌明和病院(甲四〇)
通院 平成四年七月二三日、同年八月一九日
(一〇) 北海道大学医学部附属病院(甲四一、五〇)
通院 平成四年八月二〇日から平成六年二月九日(実日数三五日)
(一一) 市立札幌病院(甲三七、五一)
通院 平成四年一〇月九日から平成六年二月一五日(実日数六日)
3 責任原因
被告は、本件事故当時、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた(自賠法三条)。被告は、加害車両を運転するに際しては、制限速度を遵守し、前方を注視して運転すべき注意義務があったのに、それを怠った過失により、本件事故を発生させた(民法七〇九条)。
4 既払金
被告は、原告に対し、治療費として二四五万七二七八円、その他として四六万四四九三円を支払った。
二 争点
1 過失相殺
2 神経症を中心とした原告の症状及び治療と本件事故との因果関係
3 損害額全般
第三争点に対する判断
一 過失相殺(争点1)
1 証拠(甲二四、二五、二八~三〇)によれば、本件事故の発生について、次の事実を認めることができる。
(一) 事故現場は、札幌市白石区菊水二条付近を東札幌方面(南東方向)から一条橋方面(北西方向)に向かう道道札幌夕張線(通称、南郷通)の左側歩道寄りの車線上である。この付近は片側二車線で歩車道の区別があり、車道幅員は一七・一メートルで、毎時四〇キロメートルの速度規制がされていた。衝突地点から東札幌方面へ約一七メートルの地点、一条橋方面へ約五〇メートルの地点にはいずれも信号機の設置された交差点があり(それぞれ「第一交差点」「第二交差点」という)、第一交差点の一条橋方面出口には南郷通を横断するための歩道橋が設置されている。
(二) 被告は、南郷通を東札幌方面から一条橋方面に向けて歩道寄りの車線を走行していたが、前方を走行する車両が右側へ車線を変更したため先頭になり、速度を上げて第一交差点に差し掛かった。原告は、レンタルCDを返却するため、自宅から徒歩で店舗へ向かい、その帰途、第一交差点の横断歩道橋の上り口まで来た。原告は、自宅へ戻るために南郷通を横断する必要があったが、横断歩道橋を渡るのは面倒だと思ったので、これを利用しないで、一条橋方面へ右側歩道上を約一七メートル進んだ。
(三) 原告は、その地点で車道の左右を確認すると、走行車両がなかったので、左側歩道に向かってそのまま小走りに南郷通を横断し始めた。被告は、青信号に従って毎時約八〇キロメートルの速度で第一交差点に進入したが、前方の第二交差点の信号も既に青色になっていたため、その信号に気を取られて横断者に気づかず、第一交差点を通過して間もなく、約一一メートル前方に原告を認めた。被告は、急ブレーキを掛けるとともにハンドルを右に切ったが、ブレーキが効かないうちに原告に衝突してボンネットへ跳ね上げ、さらに約四〇メートル走行して停止した。原告は、そこでボンネットから転落し、約六メートル前方の路上に転倒した。原告は、衝突の瞬間まで加害車両に気づいていなかった。
(四) 事故当時、既に夜になっていたが、現場付近は照明によりやや明るくなっていた。原告は、茶色の半袖ヨットパーカー、黒色のキュロットスカートに黒色の短靴という黒っぽい服装をしていたが、被告の走行車線からの前方の見通しは良く、被告が前方を注視していれば、第一交差点に進入する前に、衝突地点の約四〇メートル手前で原告を認識することが可能であった。
なお、この認定に対し、原告の陳述書(平成四年一一月一四日付け、甲四六)には、第一交差点の信号機は原告の横断方向が青色に点灯していたとの記述がある。しかし、原告は、陳述書の作成時期よりも本件事故に近接した平成三年八月七日、警察官からの事情聴取に対し、信号が青であった記憶はあるが、第一交差点のどの位置の信号であるかは分からないと供述して、供述調書に署名押印しているのであり(甲二五)、この陳述書の記述を直ちに採用することはできない。もっとも、原告の陳述書には、警察官には第一交差点の信号の色は原告の横断方向が青色であったと述べ、原告が横断を開始した位置からその信号機が見えることを現場で確認してもらったとの記述もあるが、そうとすれば、警察官はあえて虚偽の内容の供述調書を作成し、原告に署名押印させたことになり、警察官がそのような供述調書を作成する理由はないから、その記述も採用することはできない。
2 この認定事実によれば、被告には、制限速度を約四〇キロメートルも上回る速度で南郷通を走行していたうえ、第二交差点の信号に気を取られて前方を十分注視していなかったため、南郷通を横断している原告を衝突直前まで認識できなかった過失がある。他方、原告も、第一交差点には南郷通を横断するための歩道橋が設置されていたにもかかわらず、その横断歩道橋を利用しないで、第一交差点の出口からわずか一七メートルほど進んだ地点で、夜間にあえて片側二車線の道路を横断しようとし、横断開始時に左右を確認したのみで、第一交差点の信号機の色を十分確認しなかったうえ、横断開始後も東札幌方面から進行してくる車両に気を配ることなく南郷通を横断したものであり、軽視することのできない過失がある。
これらの過失が競合して本件事故が発生したものであるが、事故発生の第一の原因は、被告が原告の予測をはるかに超える高速度で加害車両を走行させたことにあると考えるべきであるから、本件事故に寄与した原告の過失割合は、四割と認めるのが相当である。
二 原告の症状及び治療と本件事故との因果関係(争点2)
1 証拠(甲二~一五、三二~三八、四三、四七、乙一、二の1~3、三、八の1~17、一〇の1~23、二〇の1~39、二一、二二の1・2、二三の1~12、二四~二八、二九の1~3、四〇の1~6、四一、四二、四三の1・2、四四の1~4、四五の1~3、四六~四八、四九の1~6、五一、五二)によれば、本件事故後の原告の症状及び治療の経過について、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、高校卒業後、一年間美容専門学校に通い、昭和六三年四月から札幌市内の美容院にインターンとして勤務したが、数か月で退職した。その後、喫茶店でウェイトレスをしたり、レストランの厨房で働くなど数か所の職場を転々としたが、長くて五か月、短くて一か月程度の勤務で、いずれの職場も長続きしなかった。本件事故当時は、札幌市内のレストランでウェイトレスとして働いていた。
原告は、元来内向的な性格であったが、高校を卒業するまで友人関係は普通にしていた。原告は、美容院を退職した際、父親に厳しく注意されたり、再就職の面接にすべて落ちたりしたことから、食欲不振となって体重が一〇キログラム減少し、その後、過食(むちゃ食い)になったことがあった。原告は、平成元年六月八日に右尿管結石、平成二年七月二一日に左尿管結石を患ったことがあったが、いずれも自然排石していた。
(二) 原告は、平成二年八月八日、本件事故に遭って、救急車で中村記念病院に搬送された。原告には意識障害が認められ、外傷性クモ膜下出血、頭蓋骨骨折、左上腕骨骨折、全身打撲、右外傷性顔面神経麻痺、髄液耳漏、右外傷性難聴、肋骨骨折と診断されて、意識障害については脳外科的治療を、骨折に対しては整復術を、髄液耳漏に対しては耳科的治療を受け、同年八月三一日、左上腕骨骨折の手術のため、いとう整形外科病院に転院した。
その後、中村記念病院に再入院したが、上腹部痛を訴えて同年九月一七日から南一条病院に転院して検査を受け、その間、いとう整形外科病院にも通院して術後の状態について検査を受けた。南一条病院の検査では内臓に損傷は認められなかったため、同年一〇月八日に中村記念病院に戻った。
しかし、依然として腹痛が続くため、同年一〇月二六日、三樹会病院に転院したところ、急性糸球体腎炎と診断され、治療を受けて症状は軽減し、同年一一月二四日に退院した。その間、いとう整形外科病院に通院するとともに、霧視を訴え、屈折視力の精査が必要との医師の判断から、同年一〇月一九日、相馬眼科医院で診察を受けたところ、表層角膜炎との診断を受け、点眼と軟こう処方を受けた。
その後、術後の金属抜去のため、同年一二月六日から一九日までいとう整形外科病院に、外傷性外耳道狭窄、伝音性難聴の治療として右外耳道形成術を受けるため、平成三年一月二九日から同年二月一四日まで札幌医科大学附属病院耳鼻科にそれぞれ入院したほか、引き続き、これらの症状に関する治療や経過観察のため、中村記念病院、三樹会病院、札幌医科大学附属病院にそれぞれ通院した。同年三月五日には、両上肢の瘢痕の治療として、中村記念病院の紹介により蘇春堂形成外科で形成術を受けた。
原告は、事故による外傷が治癒するか不安を抱き続けており、特に右耳の難聴や顔面神経麻痺が完全には治らないのではないかと考えると、しばしば気分が悪くなり、両上肢の瘢痕がきれいに取れるかも心配になっていた。
(三) 原告は、平成三年八月からレストランの厨房で働くようになったが、同年九月ころに退職して、同年一〇月には再発性左尿管結石で一時入院した。このころから、一日中無為に過ごすようになり、次第にいらいらするようになった。平成四年に入るといらいら感が高じて何かを壊したくなり、親に当たり散らしたり、頭髪を抜いたり、足の皮をむしったりするようになり、死にたい気持ちにもなって、過食の傾向も現れてきたため、同年三月五日から、中村記念病院の紹介により、旭山病院に通院するようになった。
原告は、旭山病院の医師に対し、常に姉と比較されることの不満や厳しい父親への不満を持っていること、両親に自分の気持ちを分かってもらえないもどかしさを感じているのに「分かった、分かった」と対応されることで余計にいらいらすること、本件事故後は傷物になってしまったとの精神的打撃も大きいことなどを述べていた。旭山病院の医師は、同年三月二四日、被告が契約している自動車保険の調査担当者に対し、原告は生活歴において抑うつ症状を呈したことがあり、今回も本件事故が症状発現の引き金になったと推測できると説明し、同年四月一七日には、原告の父親に対し、原告の症状は交通事故による影響があるが、それだけが問題ではなく、本人の性格の問題も関与していると説明した。
原告は、同年六月にいったん実家に戻ったが、言動に落ち着きがなく、泣き叫んでみたり、軽く手首を切ったりもした。
(四) 原告は、旭山病院の医師と折り合いが悪くなり、平成四年七月、八月に一回ずつ、札幌明和病院で診察を受けたが、診察した医師は、神経性過食症との印象を持った。原告は、札幌明和病院から北海道大学附属病院精神科神経科を紹介され、同年八月二〇日に診察を受けた。診察した医師は、過食症と診断し、原告に対し、経過観察のための通院を勧めるとともに、環境を変える意味で入院治療も勧めた。
原告は、北海道大学附属病院での治療の過程において、家族と一緒にいても疎外感があり、本心を知ってほしいと訴えていたが、自宅では、姉にコンプレックスを感じ憎らしくなってたたく、包丁を持って暴れる、手首を浅く切るなどの行動があった。医師は、原告は本件事故により余計にうつ的となっており、姉に対する劣等感だけでなく、両上肢の瘢痕のこともあって強い劣等感を持っているので、両上肢の治療をすることが非常に意味を持つと考えて、市立札幌病院形成外科に治療を依頼した。
原告は、平成五年も過食とそれに伴う嘔吐を続け、閉じこもって母親に暴力を振るったりもした。また、依然として自傷行為もあった。
(五) 原告は、平成六年二月一五日、市立札幌病院形成外科の医師により、両上肢の醜状痕について、右上肢には、肘から前腕にかけて二〇×一五センチメートルの範囲にケロイド状の多数の瘢痕と刺青が残存し、左上肢には、肘から前腕にかけて一〇×一九センチメートルの範囲に長さ一八センチメートル、四・五センチメートルの大きな瘢痕と他に多数の瘢痕や刺青が残存して、醜状を呈しており、症状は固定して手術による緩解の見通しはないと診断された。神経症状については、同年二月九日、北海道大学附属病院神経科の医師により、外傷後神経症として今後も定期的な通院治療を要するとの診断を受けた。
また、原告は、同時期に、骨折による運動障害や聴力については、各担当医師により問題なし、あるいは正常であるとの診断を受け、腎炎については、再発の可能性はあるが尿検査に異常はないとの診断を受け、表層角膜炎については、一度の通院でその後の来院がないため経過不明であるとの診断を受けた。中村記念病院においては、外来通院は継続しているが、痙攣の有無についての経過観察中であった。
その後、原告は、自動車保険料率算定会により、これらの症状のうち、右上肢の瘢痕については自賠法施行令別表の後遺障害等級一四級の四に該当するが、左上肢の瘢痕や霧視、腎機能障害については非該当であるとの事前認定を受けた。
(六) 原告は、平成七年になってから一人暮らしを始め、札幌精神健康センターなどに自ら連絡を取り、自助グループに入会して、自助グループ内でのミーティングに参加するようになり、現在も、同様の生活をしている。
(七) 北海道大学附属病院で原告を診察した笠原敏彦医師は、原告の症状につき次のとおり診断している。すなわち、原告は内向的な性格で、本件事故以前にも多食・拒食的行動が認められたが、これは原告自身に受診を促すほどのものではなかったし、原告にはもがきながらも立ち直ろうとする努力を継続する健康な人格面が存在しており、性格障害を認めることはできない。他方、本件事故の態様、重篤な傷害の程度、後遺症の内容・程度(特に両腕の瘢痕)からして、原告と同年代の未婚の女性の大部分が原告と同じ症状に陥っても何ら不思議ではなく、原告が本件事故により被った精神的打撃の大きさは了解可能である。原告自身の性格も影響していることは否定できないものの、原告の症状は、本件事故による精神的打撃と密接に関係している外傷性神経症である。
これに対し、東京海上メディカルサービス株式会社の医療部長で医学博士である長野展久は、原告は性格神経症であり、自己表現の乏しさ、コンプレックスによる自信欠如などのために、性格自体が防衛的色彩を強く帯び、ある程度の強さの負荷が加わると破綻をきたす。こうした性格傾向に交通事故による様々な身体症状、特に顔面神経麻痺や上肢の瘢痕などが強いストレスとして加わり、性格神経症の行動障害が顕在化したとの意見を示している。
2 この認定事実によれば、原告の中村記念病院、いとう整形外科病院、南一条病院、札幌医科大学附属病院、蘇春堂形成外科と、市立札幌病院における各治療については、本件事故との相当因果関係を認めることができる。
相馬眼科医院での治療についても、屈折視力の精査が必要であるとの医師の判断により受診したものであるから、本件事故との相当因果関係を認めるのが相当である。
3 原告が本件事故後一か月ほどしてから訴えていた上腹部痛は、その後の治療経過からすると、急性糸球体腎炎が原因であると推認することができるが、急性糸球体腎炎の発症と本件事故との間に相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。また、原告は本件事故以前にも二度尿管結石を患っているうえ、本件事故から一年以上経過した後に尿管結石を再発していることを考慮すると、この急性糸球体腎炎と尿管結石は、原告の体質など本件事故とは別の原因によって発症したものということができる。
したがって、三樹会病院における治療には、本件事故との相当因果関係を認めることはできない。
4 神経症について、原告に過食や自傷行為などの行動が現れてきたのは、本件事故から一年以上も経過した後ではある。しかし、本件事故の態様、重篤な傷害の程度、長期かつ多岐にわたる治療の経過、残存した障害や症状の内容と程度、特に両腕の瘢痕は、原告の精神状態に大きな打撃を与えるものである。原告は本件事故以前から抑うつ的傾向にあったが、本件事故以前の症状は、医師による治療の必要性があるほどのものではなかったということができるのに対し、本件事故後は、自傷行為などそれまでには見られなかった自暴自棄的な異常行動が認められるようになっている。
これらの事情を考慮すると、原告は、従前から抑うつ的傾向にあり、神経症を発症する素因を有していたところ、本件事故が契機となり、事故の衝撃や重篤な傷害の程度、残存した障害の程度などに関する心労や葛藤が作用して、医師による治療を必要とする神経症を発症したと認めるのが相当である。そうすると、神経症の発症とそれに対する旭山病院、札幌明和病院、北海道大学附属病院における治療には、本件事故との相当因果関係を認めることができる。
ただし、従前の抑うつ的傾向における症状と本件事故後の神経症の症状、神経症の発症の経緯、通院の頻度、発症の原因に関する医師の所見などを総合すると、従前からの原告の素因が神経症の発症に寄与した割合として、三割を認めるのが相当である。
三 損害額(争点3)
1 治療費(請求額二七七万三五九三円) 二六二万一八八三円
原告が入通院して治療を受けた病院のうち、その治療が本件事故と相当因果関係の認められない三樹会病院を除いた各病院において原告が負担した治療費の合計額は、二六二万一八八三円である(旭山病院について甲一七。札幌明和病院については証拠がない。そのほかは争いがない)。
2 入院雑費(請求額二一万円) 一六万一〇〇〇円
原告の症状、入院期間などの事情を考慮し、入院雑費としては一日当たり一四〇〇円、本件事故と相当因果関係のある入院日数一一五日で一六万一〇〇〇円を認めるのが相当である。
3 入通院交通費(請求額一〇万円) 七万五〇〇〇円
一回の通院(往復)あるいは入院(退院込み)につき五〇〇円、本件事故と相当因果関係のある実通院日数一四三日、入院七回で七万五〇〇〇円を認めるのが相当である。
4 文書料(請求額三万円) 二万〇三一三円
原告は、入通院していた各病院から、三樹会病院を除いて、少なくとも一七通の診断書の発行を受けている(甲二~四、六~九、一二~一五、三二~三四、三六~三八)。そのうち、原告が四通分として七三一三円を支払ったことは認められるが(甲一七、五〇、五一)、その余の金額は証拠上明らかでないので、残り一三通について一通当たり一〇〇〇円の限度で認め、文書料として合計二万〇三一三円を認める。
5 休業損害(請求額七二四万八四三六円) 四二九万三五一四円
神経症については、その病態や緩解可能性に照らすと、症状固定時期を判断することには困難を伴う。前記のとおり、自傷行為や過食が見られるようになった時期から二年ほど経過した平成六年二月九日の時点で、依然として定期的な治療が必要と診断されてはいるが、特に症状が増悪し、あるいは緩解したことはうかがわれない。原告もその後は医師による治療を受けていないから、原告に残存した症状は、平成六年二月九日に一応症状が固定したものとして、損害額の算定をするのが相当である。
原告は、本件事故当時、札幌市内でレストランのウエイトレスとして働いていたものであり、当時の収入は明らかでないが、平成二年賃金センサスの女子労働者・新高卒二〇歳から二四歳の平均年収二三九万三三〇〇円の八割である一九一万四六四〇円を下らない収入を得ていたと推認することができる。
原告は、平成三年八月から、いったん働き始めており、このころには本件事故による外傷の治療はおおむね終了に近づいていたということができるから、本件事故の翌日である平成二年八月九日から平成三年七月三一日までの三五七日間は一〇〇パーセント、その後、平成六年二月九日の症状固定日までの二年と一九三日間は平均五〇パーセントの限度で労働能力に制約を受けたものと認めるのが相当である。
これらに基づいて症状固定日までの休業損害を算出すると、四二九万三五一四円となる。
6 逸失利益(請求額一八九七万五〇四〇円) 一四一五万一〇九九円
原告の両上肢に残存する瘢痕は、衣服によって覆うことが可能であるから、この瘢痕の存在をもって一般的に労働能力が制約を受けるとまではいうことができない(この点は、慰謝料において考慮する)。
原告の神経症については、自賠法施行令別表の障害等級九級の一〇の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に相当する状態にあるというべきであるが、症状固定も一応の評価であり、今後、症状が改善されることもありうると考えられるから、その症状固定時の二五歳から二〇年間の限度で平均三五パーセントの労働能力を喪失したものと認めるのが相当である。
平成六年賃金センサスの女子労働者・学歴計の平均年収は三二四万四四〇〇円であるから、これを基礎とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して症状固定時の逸失利益の現価を算出すると(係数一二・四六二)、一四一五万一〇九九円となる。
7 慰謝料(請求額一五〇〇万円) 七〇〇万円
本件事故の態様、原告の負傷と治療の経過、二五歳の女性である原告に残存した神経症と両上肢の瘢痕、それに関する今後の緩解の可能性、原告の素因の本件事故に対する寄与の程度などを総合すると、慰謝料として七〇〇万円を認めるのが相当である。
8 素因の寄与、過失相殺、損害のてん補
前記1の治療費のうち、神経症に関する北海道大学附属病院と旭山病院の治療費は合計六万七〇五〇円であり(甲一七、五〇)、これに休業損害と逸失利益を加えた合計額は一八五一万一六六三円であるから、この合計額について原告の素因の寄与分三割を減額すると、一二九五万八一六四円となる。これに治療費残額二五五万四八三三円と入院雑費、入通院交通費、文書料、慰謝料を加えて損害合計額を算出すると、二二七六万九三一〇円となる。
原告の過失が本件事故に寄与した割合は四割であるから、損害合計額二二七六万九三一〇円から四割を減ずると一三六六万一五八六円となり、さらに既払金合計二九二万一七七一円を控除すると、損害額の残金は、一〇七三万九八一五円となる。
9 弁護士費用(請求額三五〇万円) 一一〇万円
本件における認容額、審理の内容や経過などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、一一〇万円が相当と認める。
第四結論
以上によれば、原告の請求は、被告に対し、不法行為による損害金一一八三万九八一五円と、これに対する平成二年八月八日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 片山良廣 山崎秀尚 池田聡介)